概要
会場・期間
会場:熊本県立美術館
会期:1月10日(水)~3月24日(日)
企画展開催概要
幕末新選組として活躍し、最後まで新政府に抵抗し続けた土方歳三にまつわる品々を展示しています。
新選組以降のものはもちろんですが、多摩に居た頃のゆかりのある展示品もあります。
また、肥後熊本藩で保管されている、新選組にまつわる文書等も公開さていますので、熊本とのつながりもうかがうことができます。
天保6年(1835)5月5日、武蔵国多摩郡石田村(現・東京都日野市石田)に生まれた土方歳三は、11歳で江戸に出て奉公を経験し、その後薬の行商のかたわらで天然理心流を研鑽。この剣術を通じて、4代目宗家を継いだ近藤勇との出会いがありました。
文久3年(1863)、将軍・徳川家茂の上洛に際し、幕府が剣術心得のあるものを徴募したため、歳三は近藤ら試衛館の同志と共に上京。その後、浪士組を母体とする政治集団「新選組」を発足させ、洛中洛外の警備にあたりました。とくに有名なのは「池田屋事件」に功績を挙げたことでしょう。
明治元年(1868)の鳥羽・伏見の戦いでは、歳三は怪我の近藤に代わって隊を指揮します。敗れて東帰した後は、幕府主戦派の一隊と合流。宇都宮、会津と転戦し、仙台にて幕臣・榎本武揚と諮り、蝦夷へ渡り箱館五稜郭に入城。ここで歳三は、蝦夷仮政権の陸軍奉行並という重職に就き、新政府軍と壮絶な戦いを繰り広げました。そして、明治2年(1869)5月11日、諸兵隊を馬上で指揮している中、流れ弾に当たり、35年の生涯に幕を降ろしました。
本展は、土方歳三資料館の所蔵品を中心にして、激動の幕末維新期を駆け抜けた、“新選組副長・土方歳三”の軌跡をご紹介するものです。また、この機会に合わせて、永青文庫所蔵の肥後熊本藩が記録した“新選組”にまつわる古文書等を展示します。
展示作品
天然理心流中極意目録
土方歳三が剣術を学んだ天然理心流の中極意目録です。
この目録、送り先が土方昌義となっています。
こちらは、土方歳三の親族が遺品の破棄を防ぐために名前の部分を書き換えています。
逆族となってしまい、関わりのあるものを破棄するよう多くの遺品などが喪失してしまいましたが、その中を潜り抜けて残ったものの一つです。
昌義は、土方歳三の諱「義豊」と近藤勇の諱「晶宣」からきています。
遺族が何とかゆかりのものを残そうと感じられる展示品でした。
天然理心流木刀
天然理心流の稽古でしようしていた木刀が展示さえています。
思ったより太くて驚きました。
他の流派の使うものに対しても重く作られているようです。
ただ、真剣を振るうための稽古だからこのくらいないと稽古にならないのかと感じさせられます。
写真撮影は禁止でしたので、下記展示されていたものとはちがいますが、ご参考です。