概要
タイトル:殿様は「明治」をどう生きたのか2
著者 :河合敦
江戸から明治を生きた殿様の第2弾です。
今回も江戸から明治への時代の変革期を通して変わっていった元殿様の様々な生き様を記しています。
江戸時代は、今よりずっと地方分権型社会だったといえる。
(中略)
ところが明治四年(一八七一)、新政府は一夜にして藩を潰し、県を置いて中央政府からお役人を派遣してとうちすることにした。こうして地方分権型社会は終わりを告げ、殿様(大名)たちは土地と家来・領民を失って、東京居住を余儀なくされた。
(中略)
殿様たちの意外なその後を知って、きっと、みなさんは大いに驚かされることと確信している。
(はじめに p1/1)
構成
はじめに
第一章 老兵は去るのみ
第二章 新時代を生きる
第三章 郷里とともに
巻末付録 大名屋敷ガイド
参考文献
ポイント
細川護久 熊本城滅却?驚きの改革案
熊本藩は戊辰戦争時に、東北に兵を出すのを躊躇したり、新政府に徳川側との和睦を献策したりと煮え切らない態度をとっていました。
このことから、新政府は熊本藩に疑いの目を向けられていました。
細川護久は、熊本藩の将来に危機を感じ、人事の刷新、税制改革に取り組んでいました。
改革の中には、封建制の象徴だった熊本城の取り壊しもあり、そのままなくなっていしまっていたら、今の熊本城もなく、景観も随分変わっていたかもしれません。
税制改革などは全てが上手くいったわけではありませんが、全体の税のうち三分の一を占めていた雑税を廃止しました。
ただ、良い政策過ぎたことで、周辺他藩でも減税の訴えが出て明治政府から疑いを向けられてしまうといった混乱も起こり、なかなかうまくいかないものだなと読み進めながら思いました。
酒井忠篤 西郷大好き庄内藩
酒井忠篤は、庄内藩(現:山形県庄内地方)の江戸と明治を生きた殿様です。
戊辰戦争の折、庄内藩も新政府へ抵抗した藩の一つでしたが、戦後は他藩と比較して寛大な処置を受けています。
ここで西郷隆盛が関わっており、庄内藩から大いに感謝されています。
酒井忠篤自身や旧藩士も鹿児島へ留学したりと、西郷隆盛と交流を深め、書物などを持ち帰ったことで、今も山形県には西郷隆盛ゆかりの書物などが残っています。
また、西郷隆盛の言葉を集めた「南洲翁遺訓」は庄内の人々によって出版されています。
庄内と鹿児島、当時は今よりも遠かったであろう所での関わりなどのエピソードは、感動するものがあります。
感想
「殿様は「明治」をどう生きたのか」の第二弾。
時代の大きな移り変わりの中で、旧殿様がどう関わっていったのか面白いエピソードがたくさんありました。
私が取り上げたのは、第三章の「郷里とともに」の明治以降も元の藩と深く関わりを持って活動していた殿様たちでしたが、他にも表舞台から退いた殿様、活躍した殿様など生き方は多様です。
明治以降もたくさんの殿様のエピソードがあるということは、それだけ敗者側にも生き残った殿様が多くいたということで、生き残れたというのはそれだけでも凄いことだと思います。
大きな歴史の流れとは一つ離れたところも知れるいい機会になりました。
歴史好きな方、地方の歴史上の人物を知りたい方にはおすすめな一冊です。
ご一読ありがとうございます。